Vision
詩篇100篇 感謝の賛歌
全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。
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全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。
喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。
知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。
感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。
主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。
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チェンバロはピアノより古い時代の鍵盤楽器です。
ピアノのように弦をハンマーで叩いて音を鳴らすのではなく、弦をはじいて音をかき鳴らします。
英語ではハープシコードというようにハープ、まるで立琴を思い起こさせる楽器でもあります。
紀元前1000年頃、ダビデという立琴の名人がいました。彼が立琴を奏でると病にある者が慰められ、癒され、悪い霊が去って行ったと聖書にその歴史が記されています。やがて、イスラエルのベツレヘム生まれのダビデは王となり、立琴や十弦の琴、シンバル、楽器を作り、歌うたいに持たせ、賛美隊、今でいうと大きなオーケストラと聖歌隊を編成し、訓練し、率いて、たえず神をほめたたえ、神に賛美を捧げた人でした。神はそのダビデに目を留められ、神はいつも共におられた、と記されています。後の時代、紀元1世紀にベツレヘムで、ダビデの家系から(神の子)イエスキリストが生まれ、十字架の福音がすべての人へと伝えられてゆきます。
時代とともに文化が発達し、楽器の種類も豊かになってゆきます。
チェンバロが誕生するのは16世紀のイタリアです。ヨーロッパでたくさんの素晴らしい音楽家が誕生した時期です。17世紀にはドイツにJ.S.バッハが生まれ、幼いころから歌やヴァイオリン、鍵盤楽器の手ほどきを受け、青年期から、教会では神を賛美する歌、オルガン曲、後には聖歌隊とオーケストラを編成し、たくさんの音楽を神へ捧げました。宮廷での音楽、またこの世の流行にも敏感で市民が喜ぶ音楽も作りました。チェンバロや器楽曲も多く作曲し、それらの曲は人々に喜びと愉しみをも与えました。
バッハはイエスキリストの十字架による罪のゆるし、福音を信じ、その信仰をもって音楽を神に捧げた音楽家で、彼の手稿譜には(彼の作曲時期全般に渡り)書き出しにJ.J(イエスキリストよ、導きたまえ)、曲の終わりにS.G.D(神にのみ栄光があるように)と書かれています。またバッハの使っていた聖書には、ダビデが神を賛美するために編成した賛美隊について記されている聖書の箇所(歴代誌Ⅱ5章)には、バッハが何度も何度も読んだあとがあり、たくさんの線、書き込みがあると言われています。バッハはダビデがどのように神に賛美を捧げていたのか、聖書から学び、求め、その賛美の心を留めていたのでしょう。
バッハの音楽に耳を傾けていると、心の深いところに触れられることがあります。魂を慰め、癒す不思議な音、言葉にならない響き、それはどこから来るのでしょう。
彼は音楽家系の中に生まれ幼い頃から教会と音楽の中にありました。その時代にあっての階級社会、人種差別、宗教と言われるものの中にある戦い、権力争い、生きる苦しみ、経済的困難、悲しみ、痛みを経験し、葛藤しながら、自分の中にもその種である罪があることを知っている人でした。そして、そこからの赦し、解放、癒し、回復、解決、和解、希望、救い、喜びがイエスキリストの十字架にあることを知り、普遍的な神の教会を求め続け、自分が神から与えられている音楽の賜物を捧げ続け、ただ神に栄光が帰されるよう願った人でした。
このようなバッハの心を、神は目に留められたと私は思います。バッハの音楽制作を導かれ、そのバッハから紡がれた天からの音は、今も残り、演奏され、人々の心の深いところまで届き、その言葉にならない不思議な響きは、魂を慰め、癒すのではないかと思うのです。
今を生きる私ができることはなんでしょう。幼い頃から音楽を学ぶ環境、出会い、楽器が与えられてきました。自分の罪がイエスキリストを十字架に付けたこと、このキリストの十字架にあって赦しと救い、恵みを受けてきました。信仰者&音楽家として大先輩のバッハに学び、私も小さき者ながら、与えられた来た音楽の賜物を感謝しつつ、神に導きを求めながら、神に栄光があるよう願い捧げていきたいと思うようになりました。ここに至るまで家族、友人、師、様々な方達から与えられきた愛に感謝しつつ、演奏したいと思うようになり、≪マニフィカト≫と名付けて活動を始めていきます。
その音が紡がれるその時に、賛美が捧げられるその時に、高きところにおられる神が演奏者と聴き手の心に触れて下さり、慰めと癒し、喜びと平安を与え、語りかけて下さること心から願い、主の霊が人々の心に満ち、祝福が注がれることを願っています。
そして、いつの日にか、ダビデやバッハが編成したように楽器奏者、歌手が集められ、同じ心を持って演奏することを願っています。この思いと音楽を神が受け取って下さり、御心が為されるよう祈りつつ。
内村 まり子
ピアノのように弦をハンマーで叩いて音を鳴らすのではなく、弦をはじいて音をかき鳴らします。
英語ではハープシコードというようにハープ、まるで立琴を思い起こさせる楽器でもあります。
紀元前1000年頃、ダビデという立琴の名人がいました。彼が立琴を奏でると病にある者が慰められ、癒され、悪い霊が去って行ったと聖書にその歴史が記されています。やがて、イスラエルのベツレヘム生まれのダビデは王となり、立琴や十弦の琴、シンバル、楽器を作り、歌うたいに持たせ、賛美隊、今でいうと大きなオーケストラと聖歌隊を編成し、訓練し、率いて、たえず神をほめたたえ、神に賛美を捧げた人でした。神はそのダビデに目を留められ、神はいつも共におられた、と記されています。後の時代、紀元1世紀にベツレヘムで、ダビデの家系から(神の子)イエスキリストが生まれ、十字架の福音がすべての人へと伝えられてゆきます。
時代とともに文化が発達し、楽器の種類も豊かになってゆきます。
チェンバロが誕生するのは16世紀のイタリアです。ヨーロッパでたくさんの素晴らしい音楽家が誕生した時期です。17世紀にはドイツにJ.S.バッハが生まれ、幼いころから歌やヴァイオリン、鍵盤楽器の手ほどきを受け、青年期から、教会では神を賛美する歌、オルガン曲、後には聖歌隊とオーケストラを編成し、たくさんの音楽を神へ捧げました。宮廷での音楽、またこの世の流行にも敏感で市民が喜ぶ音楽も作りました。チェンバロや器楽曲も多く作曲し、それらの曲は人々に喜びと愉しみをも与えました。
バッハはイエスキリストの十字架による罪のゆるし、福音を信じ、その信仰をもって音楽を神に捧げた音楽家で、彼の手稿譜には(彼の作曲時期全般に渡り)書き出しにJ.J(イエスキリストよ、導きたまえ)、曲の終わりにS.G.D(神にのみ栄光があるように)と書かれています。またバッハの使っていた聖書には、ダビデが神を賛美するために編成した賛美隊について記されている聖書の箇所(歴代誌Ⅱ5章)には、バッハが何度も何度も読んだあとがあり、たくさんの線、書き込みがあると言われています。バッハはダビデがどのように神に賛美を捧げていたのか、聖書から学び、求め、その賛美の心を留めていたのでしょう。
バッハの音楽に耳を傾けていると、心の深いところに触れられることがあります。魂を慰め、癒す不思議な音、言葉にならない響き、それはどこから来るのでしょう。
彼は音楽家系の中に生まれ幼い頃から教会と音楽の中にありました。その時代にあっての階級社会、人種差別、宗教と言われるものの中にある戦い、権力争い、生きる苦しみ、経済的困難、悲しみ、痛みを経験し、葛藤しながら、自分の中にもその種である罪があることを知っている人でした。そして、そこからの赦し、解放、癒し、回復、解決、和解、希望、救い、喜びがイエスキリストの十字架にあることを知り、普遍的な神の教会を求め続け、自分が神から与えられている音楽の賜物を捧げ続け、ただ神に栄光が帰されるよう願った人でした。
このようなバッハの心を、神は目に留められたと私は思います。バッハの音楽制作を導かれ、そのバッハから紡がれた天からの音は、今も残り、演奏され、人々の心の深いところまで届き、その言葉にならない不思議な響きは、魂を慰め、癒すのではないかと思うのです。
今を生きる私ができることはなんでしょう。幼い頃から音楽を学ぶ環境、出会い、楽器が与えられてきました。自分の罪がイエスキリストを十字架に付けたこと、このキリストの十字架にあって赦しと救い、恵みを受けてきました。信仰者&音楽家として大先輩のバッハに学び、私も小さき者ながら、与えられた来た音楽の賜物を感謝しつつ、神に導きを求めながら、神に栄光があるよう願い捧げていきたいと思うようになりました。ここに至るまで家族、友人、師、様々な方達から与えられきた愛に感謝しつつ、演奏したいと思うようになり、≪マニフィカト≫と名付けて活動を始めていきます。
その音が紡がれるその時に、賛美が捧げられるその時に、高きところにおられる神が演奏者と聴き手の心に触れて下さり、慰めと癒し、喜びと平安を与え、語りかけて下さること心から願い、主の霊が人々の心に満ち、祝福が注がれることを願っています。
そして、いつの日にか、ダビデやバッハが編成したように楽器奏者、歌手が集められ、同じ心を持って演奏することを願っています。この思いと音楽を神が受け取って下さり、御心が為されるよう祈りつつ。
内村 まり子
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第二歴代誌5:12-14
また、歌うたいであるレビ人全員も、すなわち、アサフもヘマンもエドトンも彼らの子らも彼らの兄弟たちも、白亜麻布を身にまとい、シンバル、十弦の琴および立琴を手にして、祭壇の東側に立ち、百二十人の祭司たちも彼らとともにいて、ラッパを吹き鳴らしていた。ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである
第二歴代誌5:12-14
また、歌うたいであるレビ人全員も、すなわち、アサフもヘマンもエドトンも彼らの子らも彼らの兄弟たちも、白亜麻布を身にまとい、シンバル、十弦の琴および立琴を手にして、祭壇の東側に立ち、百二十人の祭司たちも彼らとともにいて、ラッパを吹き鳴らしていた。ラッパを吹き鳴らす者、歌うたいたちが、まるでひとりででもあるかのように一致して歌声を響かせ、主を賛美し、ほめたたえた。そして、ラッパとシンバルとさまざまの楽器をかなでて声をあげ、「主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。」と主に向かって賛美した。そのとき、その宮、すなわち主の宮は雲で満ちた。祭司たちは、その雲にさえぎられ、そこに立って仕えることができなかった。主の栄光が神の宮に満ちたからである
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